道南民俗学研究会

虚飾を捨てた文章を書きたい。

⑤息抜きコラム 津軽海峡、お茶、青銅器

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北斗市当別町トラピスト修道院登るルルドの泉からの眺望

函館山が独立した島のように海上に浮かび上がっており、幕末に黒船で来訪した米国海軍ペリー提督をして、天然の良港と言わせしめた函館港の一端が読み取れる画像。右側には津軽海峡が開けている。函館山の別称に臥牛山がある。

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知内町重内神社展望台から海峡を望む。
津軽海峡は、ヒグマの南限、ツキノワグマの北限というように生物学的な境目の一つである。これをブラキストン線と呼ぶ。

また中央部分は公海となっていて、軍事的にも重要な意味を持つ。この海峡の地下には総延長53.85㎞の青函トンネルが開通しており、第2青函トンネルの構想もある。

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いわゆる「お茶」が日本に持ち込まれたのは平安時代である。鎌倉時代になると質素簡潔をとうとぶ禅と結びついて次第に普及し始めたのである。
 戦国時代に喫茶の作法が定められたものが茶道として大成し、今日にも伝わる。

 思うに茶によらず、湯に薬効成分のある野草などを浸して、それを服用するという習慣は縄文の太古からあったであろう。
道南と言う土地に住む私が想像することはそれは例えば昆布茶である。

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中東史に目を向けると石器時代の後には青銅器時代があり、その後に鉄器時代を迎えている。欧州なども同様である。

一方、日本では一般に弥生時代に青銅器と鉄器が同時に大陸から持ち込まれ、青銅器時代を経ずに鉄器時代を迎えるのである。鉄器は人類に武器と農耕具をもたらした