道南民俗学研究会

虚飾を捨てた文章を書きたい。

永遠のニシパー主人公・松浦武四郎についての考察

 これは重い問い掛けのある作品である。90分ドラマながら、昨今の軽妙な味わいの大河ドラマとがっぷりと四つに組める深い問いがある。

 

 ニシパはアイヌ語で大切な人を指す言葉である。これはもっぱら男性に対して使用される言葉で旦那さんという訳出が相応である。すなわち永遠のニシパとは劇中の主人公である北海道の名付け親、松浦武四郎に対する敬意表現である。

 

 ウィキペディアなどで松浦武四郎を検索すると冒険家を筆頭に、いくつかの職種が出てくる。好古家ともあり、いにしえの歴史にも通じていたことがわかる。また、彼は絵が得意でアイヌ民族の暮らしぶりを数多く記録している。つまり、彼は民俗学者でもある。であるならば、当ブログで触れないわけにはいくまい。

 松阪にある松浦武四郎記念館を未来に訪れるために、本日は既存の資料等を確認する先行調査とする。 

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画像は松浦武四郎記念館HPより

 

 第一に彼は、三重県松阪市(伊勢の国、本居宣長は同郷の先輩)の生まれであることから神道に対して一定の造詣があったものと推測する。時は折しも、幕末の国学隆盛期でもある。第二に彼は、二十歳の時に僧になっている(後に還俗)。第三に彼が、日本全国を探検する中で、修験道など自然を神聖視する山岳信仰に深く触れていることが推定できることから、信仰者という側面を当ブログでは指摘する。

 

 彼をしてアイヌの人々の当時の窮状を世に問わせたものは、彼が信仰者としての社会的正義を有していたが故であると考察する。特に「近世蝦夷人物誌」では、アイヌの人々に対して乱暴狼藉を働く武士や商人、つまり同胞である和人を批判している。

 

 私は松浦武四郎のような、ヒューマニティを持った人物が当時存在していたことに救われる思いがする。

  彼は北海道に六回も訪問する中で、アイヌの人々と言葉による交流が可能になっていた。また、彼の存在は幕末の志士にとっても刺激的な人物と映っていたようであり、吉田松陰は彼のことを奇人也と評している(長州人にとっての奇人というのは一種の誉め言葉でなる)。彼らは海岸線の防衛に関する談義などで随分と盛り上がったようである。

 

 と、劇中で彼は一日15里を移動したと語られている(約60キロメートル)。本人の言葉では最高で一日20里と豪語している(約80キロメートル)。仮に60キロとしても約1400キロメートルの四国お遍路なら僅か24日間で一周(相場は五十日間)できるという信じられない鉄の脚の持ち主である。流石に16歳の頃の家出で既に唐、天竺に行くかもと言っていただけのことがあります。