道南民俗学研究会

虚飾を捨てた文章を書きたい。

いにしえ人の言葉⑦家畜の骨を目印にして砂漠の道なき道を進んだ

 「術を使えば天竺迄はひとっ飛びだ」そんな孫悟空の誘惑を彼は頑なに拒絶する。「自ら歩くことに法を求める意味があるのです。」一行は術も使えない非力な人間の存在である彼にどこまでも付き従う。
 西遊記の主人公とは誰なのだろう。孫悟空がいなければ、妖怪変化に翻弄されて手も足も出ない御話になりそうだが、玄奘三蔵法師がいなければ、旅の目的そのものがなくなってしまう。

 西遊記のモデルとなった実在の人物である玄奘三蔵法師は、国王の命に背く形で密出国を決意するに至る。そのまま国にとどまっていれば僧としての栄達は既に約束されている。法論(仏教の教義に関する僧同士の討論)においては若くして、既に一流を極めている。それは、つまり彼が学識に長じていただけではなく人格的にも認められていたことを示している。


 その三蔵法師が人目を忍び、罪に問われることを覚悟しながら孤独のうちに密出国をしたと初めて知ったとき、それ自体が強いドラマ性を帯びていると感じた。

 今回、本連載に取り上げるにあたり、改めて玄奘三蔵法師に関して表面的にではあるが情報を再収集した。冒頭の句は、後に西遊記の原典ともなる玄奘執筆の「大唐西域記」に記されたタクラマカン砂漠を渡る際の記述から引いた。ちなみに彼は、この砂漠で早々に不注意から水を失い、4日間をのまず食わずで歩き続け、遂に砂漠の中で馬とともに倒れるという経験をしている。(翌朝、その旅慣れた老馬が再起し、オアシス迄彼を導いたことで九死に一生を得る)
 彼が帰路、膨大な荷物があるにも関わらず、あえて安全な海路を捨て陸路を選んだのは何故だろう。高昌国の王との再会の約束を果たすためだったと考えることが自然だ。そして、高昌国は既に玄奘の祖国・唐から不当な疑惑を掛けられた結果、滅亡していたのである。この時、玄奘の胸に去来した想いとは何だったのだろう。諸行無常などという言葉で割り切れない怒りや悲しみを当然に抱いたものと思う。

 彼は民衆に熱狂的に迎えられ帰国した後、罪を赦免され、経典の翻訳事業に余生を捧げつくした。逆説的に言えば、彼の功績とは経典(や仏具)という形を中国へと持ち帰り、翻訳したことより、世俗の栄達を捨ててでも道を求めるのだという気概を後世の僧に示したことにあると私は感じる。