道南民俗学研究会

虚飾を捨てた文章を書きたい。

現行法による罪は免れようと~SNSによる誹謗中傷~

 罪とは何か。哲学的な意味においての罪は個々の人生観が反映される言葉である。一方、刑法的に罪とは、既に定められている法に該当した場合にのみ適用されるものである。即ち、刑法の法文において明確な定めがなければ罪に問いたくても、罪に問われることは日本ではない。それは司法が恣意的(思うまま)に、ある特定の人物を罪と裁くことがないようにという人権上の配慮である。

 このことを逆手に取る形で、規制されるまでの期間に罪を重ねる者もいる。それは悪行ではあっても、その時点では罪ではないということになる。例えば、品薄な状態で多くの人がマスクを必要としていることにつけ込みマスクの価格を不当に釣り上げ利益を得る目的で転売をし、買い手がいるために更にマスクの値が上がろうとも、そのことを禁じる法がなければ合法ということになる(5月22日、三重県の業者がマスク転売を禁じる国民生活安定緊急措置法違反の疑いで摘発を受けている)。

 何を言いたいのか、法は決して完璧なものではないということだ。法も、法を運用する人間も不完全なものであるが故に、その適用を巡って、慎重な審議が裁判という形で繰り返されるのである。で、何を言いたいのか。

 ネットニュースでプロレスラーの木村花さんが22歳という若さで逝去されたという事実を知った。死因は現在、捜査中であるが自死の可能性が高い。ご冥福を申し上げる。一歩突っ込んだ見解を申し上げれば、自死だとした場合、性急な印象がある。そこに至るまでの段階が唐突で何とも苦い思いがある。率直に言えば、眼前の苦しみを回避して、生きるという道を選択しなければならなかったものと考える。責めて申し上げる訳ではないが、悔やまれる若い死である。

 ただ、彼女を自死に追い込んだものが仮に、匿名のSNSによる誹謗中傷であるなら、その悪行が法により厳粛に裁かれることを望む。処罰感情も当然あるが、ここで曖昧に許されてしまうと、同様の事案が続出することになる。彼女を誹謗中傷した者も今となって罪の意識にさいなまされている可能性があるが、どういう形での償いが相当であるのか。

 匿名の誹謗中傷といっても、本当の意味での匿名などないのだから、捜査をすれば誹謗中傷をした者を特定することは容易ではある。しかし、その中の誰の言葉が彼女の死と直結するものか立証することは困難であろう。だからといって、法上は罪とは認定されなくても悪意は存在したのである。ここをどう考えればいいのだろう。
 私自身が思索を整理できない状態での記事化をためらう気持ちはあるが、問題提起の意味で公開する。誹謗中傷した奴ら全員懲役などという現実味に著しく欠けたことを言ってもしょうがない。現行法で罪と認められなければ償いは法的には不要だと社会が認めることになるが、どういう論議がされるか、その動向に注意を払いたい。