道南民俗学研究会

虚飾を捨てた文章を書きたい。

③核なき世界という問い掛け

 この北の港街の古い船着き場は狭いが故に様々な色を身に纏った人々が点描画のように目につきます。 
 今は一目で、それとわかる異国の青年僧が法衣の裾を翻して歩き過ぎました。おやおや、子供たちが石畳の上を飛び跳ねていきます。この国の古い詩人が言うことには「月日は彼方なる漂泊者であり、行き交う時も旅人である」ということです。
 
 先日はイスラム教徒の方とお話していて「せんべい」という伝統菓子がハラルではないと知りました。つまり、その原料の一つにはみりんがあり、みりんには酒が含まれているため本国に持ち帰る旅の記念品としては不相応だと言うのです。
 あなたが住まう中東に関して、私は漠然とラピスラズリと石油の産出地域であり、また「千夜一夜物語」の舞台という印象だったのですが、シルクロードについて幾つかの文献を紐解いたところ、古代の日本と中東地域を結ぶ複数の交易ルートが浮上していました。
 シルクロードの西の果ての地からあなたに向け筆を執ります。

 もし私が世界有数の軍隊の指揮官だからと言って望ましい人道的支援を世界中に施せる訳ではありません。また私情から、取ってつけた指針により特定の集団に肩入れをしたところで、却って周辺地域を刺激し、場当たり的な干渉を及ぼす予期が考慮されます。
 また、もし私が作家であるとしても無力です。ただ祈りという言葉で安易な思索の放棄をするまいと思うのみです。そして一人の日本人としては各国の首脳が同時に意志を表明すれば実現可能な、核兵器の先制的使用禁止条約の2030年内議決を望むものです。
 日本人の私が平和について考え続けるとき、それだけが非人道的な兵器ではないとしても、どうしても核兵器の問題に辿り着くのです。核兵器や戦争が、この世界からなくなることはなかろうとも平和への祈りが軽しめられてはならないと考えます。
  
 あなたから見れば繊細な感情を抱く相手でしょうが元米国大統領とローマ教皇のお二方は日本の地で「核なき世界」という言葉を用いました。それが多分に慰めを含んだ言葉であったのか、ないしは計画性は不十分でも一定の意思を秘めた誓いであったのか考え続けています。
 なお、報道陣を含む多くの日本人は彼らを称賛するのみで的確な問いかけの機会を逸したのではないかと考えます。仮に当時、私が報道陣として彼らに質問をできる立場であったとしても、当たり障りのない質問を行うのが関の山だったのだろうとは思いますが、この問いは日増しに募るのです。
 「核なき世界、その言葉の実現にいかほどの重みがあるのでしょうか」と、そう問うことが礼儀だったのではないかと。それを実現するのも拒絶するのも、人類全体の決断なのですから。踏み込んで言えば、これは核保有国にこそ問われるべき言葉とも言えます。

 この機会に、私の平和構築への意志を未熟なりにも言語化してみたいと思います。
 息抜きコラム

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奥尻島の奇岩、鍋つる岩 夜風が心地よい

 「開けゴマ!」=「イフタヤー・シムシム」は、子供心にも摩訶不思議な呪文であった。なおイフタヤー・シムシムが文末にくると、「どうなることになるのやら」という意味になるのも興味深い。