道南民俗学研究会

虚飾を捨てた文章を書きたい。

⑧ストーンサークルと盆踊り

 日本とはあなたから見れば、どのような国なのでしょう。この国の「序列を重んじて」「空気を読む」という慣習は「自分が相関する状況を察知し争いを避ける」という智慧であり、反面で風見鶏のように信念を持つことを避ける態度をも示しています。
 去る1月22日、核兵器の製造・使用・実験・保有などを一律に禁じる核兵器禁止条約が発効されました。非加盟国には効力が及ばないため実質的効果は限定的であるという指摘があり、同条約が核保有国に支持される見込みはゼロだと私は見ています。これは囲碁で言えば定石から外れた鬼手であり、次の一手が重大な意味を持ちます。
 現実的な軍事判断において、アメリカの核の傘に入っている我が国が「核なき世界」を訴えるのは無理があります。それではオバマ氏が発した、あの言葉は何だったのでしょう。あるいは初の黒人大統領、そして弁護士としての彼特有のセンチメタリズム?
 他国要人が日本で核なき世界を語るのは美談で、日本政府が世界に対し核なき世界を語ることは気遣いに欠ける・・欠けているのは忖度ではなく意志でありましょう。我々は戦没者に対し形式だけの慰霊ではなく戦禍の除去という結果を捧げる必要があります。それはどう考えても、成り行きにゆだねるという受動的態度では実現できる訳がありません。
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 本題に戻ります。縄文時代について書かれた文献を読んでいると「ここでは何らかの祭祀が行われていたと推測される」という記述をよく目にします。つまり、具体的にどのような祭祀であるかの言及を避けています。遺物からは考証の仕様がないので空想は述べないという考古学的姿勢なのですがもの足りなく感じます。以下、私の夢想です。
 
 「その祭りとは夏の夜に輪を描いては火を囲み踊り続ける人々の群れ。」その太古、舞踊と音楽と文学は同一である。即ち祭りとは神話の再現。望月の雫こぼれ落ちる薄明りの中で。時に、雲漂い、水流れ、映月は海を渡る。
 この島からは太古の昔に人々が祈りを捧げていたことを暗示する遺構が発掘されています。その遺構の一つ環状列石群(ストーンサークル)は氏族の共通の祖先を祀る聖地であり、天文学的規則性を観測した気象定点であり、更に円や暦に象徴される命の循環性ーつまり霊魂の葬送を祭儀した聖域であったと考えられます。
 私自身、或るストーンサークルを訪れた際に強い集中時のような感覚を味わったことがあります。同行者があっけらかんとしていたことが妙に現実的で、特別な現象があった訳ではないながらに、その輪の中に敬意なく入るべからずという畏れを強く抱きました。 

 ところで以前に伝統的な夏の夜の輪踊りである「盆踊り」を日本的だと指摘する外国人の見解を聞いたことがあります。例えば、宗教上の理由から盆踊りのような舞踊が異端として排斥された地域はあるのかもしれません。だから盆踊りは単に日本的と言うより世界各地に垣間見ることができた原風景が潜んでいるものと考えられます。
 神代の昔から真夏の望月の夜には人々が車座になり、歌い踊っていたと考えらなら、私たち日本人は盆踊りに等しいものを崇拝儀礼や恋愛の機会として、遥かなる昔から行ってきたと推論できます。