道南民俗学研究会

虚飾を捨てた文章を書きたい。

⑨きっと「核なき世界」より大事なこと

 日本において核なき世界と言うフレーズがイメージ的に用いられる一方、現実には核兵器保有国は増えるだろうという予測があります。核なき世界、現時点における実現可能性はゼロに近く、私たちは地に足の着いた実現可能な目標を設定し直す必要があります。
 重要なことの一つは我が国が如何なる道を選択するかという主体性です。例えば、政府が国軍とパイプを有していて、民間においても人・金の流れがあるミャンマーに対して、どう関わるべきか。何ならできるのでしょうか。他国の内政に干渉する意図はありませんが、今、まさに苦しみにある方を現実的に救う手段として何が有効なのかと考えます。
 もし、あなたが、この手紙を読み終えたなら世界人権宣言に目を通してみてください。欧米的な価値観ではありますが、近代法の原理原則が記されています。

 一つ言えること。この日本では、戦争放棄を定める平和憲法の二百文字足らずの条文を70年以上も法論争しています。その果てない議論は、換言すれば平和を保つための不断の努力です。そして法議論には膨大な量の前提知識が要求されます。勉強はいつでもできますが、こと記憶力に関しては年代差が顕著であり、ここに児童教育の重要性があります。

 あなたは広島や長崎という地名をご存知ですか。それは世界中に知られている言葉だと聞きます。現代文明の平和は核兵器の不平等配分により、いびつに担保されています。核の少ない世界は、それ自体に使用期限がある為原理的に実現できます。では政治的に実現できるのでしょうか。最後の一発を握った国が、簡単に、それを手放すのでしょうか。 
 ところで核兵器そのものを違法とする核兵器禁止条約は崇高ですが、日本が批准しないことへの失望が一部の国際社会から発せられています。しかし、私は思うのです。核なき世界と言う理想の成就を特定国に頼ったり、情緒論にしてはいけないのではないかと。

 核の廃絶を巡る提案は我が国にとって重い命題です。熟考を巡らすに「核なき世界」という願望や幻想の対極に私たちが本当に到達するべき現実の未来があると信じます。
 日本人の私はこう考えます。核や化学兵器が非人道的であるなら、それらを使用する戦争や軍事的威嚇による支配が非人道的である。ならば元凶への言及を避けてはならず、理想を語るなら最後まで語り尽くすべきだと。
 
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 例えば、高僧が核なき世界について語ったなら、どのような言葉で想いを口にするのかと考えます。もちろん立場ある方の言論においては様々な制約が付きまとい、全ての時事問題に対して本音を語ることは難しいでしょう。それは私にもわかるのですが、当たり障りがなさ過ぎてメッセージ性に欠ける発言なら、本来的に救える命も救うことができません。
 一在家仏教徒に過ぎない私の学識や文章力では、おのずと書ける内容に限界があります。現代の僧侶に、宗教者として本当に発言すべきことを発言していただきたく願っています。
そして、私も文章に携わる役割を多く持つ中で、何ができるかを考え続けます。
 ちなみに日本では、原則的に全ての子女が義務教育の中で戦争放棄や人権について学びます。平和主義と言う夢を語っていては国を守れないという論調もありますが、一方では、日本国憲法があなたの国から敬意の対象となっているという話を聞いたこともあります。