道南民俗学研究会

虚飾を捨てた文章を書きたい。

④JOUMON-縄文

 本題に入る前に私事を述べます。私の趣味は古代遺跡を巡ることです。近々、海峡向かいの田舎町に約一万六千年前に制作された土器の断片を検分しに行く予定です。晴れた日には対岸を望むことができる津軽海峡は、西の日本海側から東の太平洋側へと抜ける潮流は平均毎時約3ノット(約5.5km)で、先住民に「しょっぱい川」と称されていました。公海でもある東西に伸びる中央帯の最深部は200メートル以上の水深があります。
 さて昨日、函館駅で見つけた縄文ハンドブックによると、氷期時代の海面は現在より130メートル程低かったとあります。つまり海峡の中央は氷期も陸地ではなかったと言うことになります。実際、列島そのものがユーラシア大陸と地続きだった約2万年前の推定地図は川状であり、更に海流の関係で海水が太平洋側から流入する塩川だったと推定されます。

 私は、縄文に関しての専門家ではないのですが、土器の発明とは生活文化史を従来から現代へと急速に間を詰めた革命的事象であったと理解しています。
 先日の地元新聞記事によれば約1万年前の鹿児島県の上野原遺跡には、「大小2つの穴をトンネルでつなぎ大きな穴で火を焚き、煙が通る小さな穴の上で食材をいぶしたと推測される」施設があったということです。要するに、縄文時代の調理方法に燻製の技術が既にあったのではないかと、北海道先住民の燻製法などに寄せて書かれているのです。

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文様が幾何学的であり、異質な印象を受けた土器
 現代の日本家庭で土器に近いものと言えば土鍋でしょうか。割れるかもしれないというリスクを潜り抜けて調理具棚の中段に鎮座をしています。土器の発明とはつまり、冷蔵庫も電子レンジも何もない台所に土鍋が持ち込まれた状態になぞらえていいでしょう。火があれば、取り合えず食材を放り込んで鍋料理ができます。それは、暖房器具のない冬の寒い夜には体を温めたというより、生死を分けうるものだったでしょう。
 土器の発明は衣食住全ての領域に多大な変化をもたらしたと考えられます。最大の変化とは水の大量貯蔵ができるということと、湯をとることではないかと私は考えています。この変化は出産時の母子のリスク軽減や新生児の生存率向上にもつながったと推測できます。
 衣の点では木の実を煮詰めるなどした新染料の発見が挙げられます。食の点では調理の幅の拡大と、可食食材の大幅な増加が挙げられます。(土器がなければ、仮に米があっても炊くということはできないのですから次の稲作文化も訪れません)
 そして住の点では、家屋の中で煮炊きを専用に行う場としての囲炉裏の原型概念の発生と、定住性の志向などが挙げられます。
 
 なお長江下流域または朝鮮半島から西日本に稲作や鉄器が伝来し、普及することで時代は縄文から弥生へと移行するのですが、稲作は試行されたから定着するとも限らず、縄文と弥生の区分は地域により、研究者により異なっているというのが実情です。
 なお遺骨調査においては縄文と弥生との間に明瞭な相違があります。それは闘争痕です。縄文の人骨には争いの形跡が少ないのです。例えば、縄文人には人間同士の争いを戒める不文律でもあったのでしょうか。記録はないので遺物や伝承から、もう少し彼らの文化や思想を追ってみましょう。