道南民俗学研究会

虚飾を捨てた文章を書きたい。

図書館のあり方について

 ニューヨーク公共図書館という上映時間の長い映画を見る。午前10時半から14時まで途中に5分間の休憩を挟み、約3時間半(205分)、銀幕に向き合っていたことになる。内容は学術的なドキュメンタリーで苦手な人にとっては30分でも辛いだろう。私の数え間違えでなければ、休憩を境に3割に近い3名が脱落している。

 ニューヨーク公共図書館、それは巨大な知の殿堂。その運営予算の約2割は民間からの寄付金で賄われている。作中では当図書館の舞台裏や職員会議の様子が克明に描かれていく。図書館の使命とは何か。そもそも図書館とは何か。

 

 確かに人に読まれずとも学術的に意義のある本というのはある。ベストセラー必ずしも良書ならずということだ。売れないような隠れた良書を数十年という単位で蔵書できるのは書店ではなく図書館である。では、図書館というのは書庫であるのか。主体は本なのか、利用者なのか。

 

 更に言えば、一日中でもいることが可能な快適性のある大型書店と図書館の違いは何か。考えるに、それは公共の福祉性と言うべきもので、そのことが作品全体を貫く主題として描かれている。例えば、地域住民における情報格差を解消するための具体的方策の議論、ホームレスの人が図書館を読書以外で利用することへの何が最善かの議論、就職支援などの後援。

 全ての人におすすめできる内容ではないが、書籍・教育・情報に関わる職種の人であれば、この映画を205分鑑賞し、図書館を通じた社会のあり方を考えてもよいだろう。

 

 空腹のせいもあったか、映画を見終わった後に近所で食べた醤油味のたこ焼きは、ことのほか美味であった。