道南民俗学研究会

虚飾を捨てた文章を書きたい。

令和元年 ストーブ火入れ式 於 高田屋嘉兵衛資料館(函館)

 

 灯台下暗しという言葉がある。身近な人や、もの、場所の特異性を見落としがちなことを戒める言葉である。最近の私にとって江戸時代随一の快男児高田屋嘉兵衛(1769~1827)という函館の基盤を整備した商人が、それにあたる。

 もちろん道南に住んでいるからには、その名前ばかりでなく、かつては函館山ふもとの一角の宝来町一帯が彼の屋敷であったこと、豊川稲荷が彼の邸宅の屋敷神であったこと、彼が発展の基盤を築く前は函館は世帯数の少ない寒村(人口3000人ほど)だったことなどは知っていたけれど、単に巨万の財を成した好々爺の商人のようなイメージであった。

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  しかし、彼の生涯は調べれば調べる程に劇的な変化に富んでいる。現代で言えば実業家でもある。生涯の一時期は外交官である。後の函館の街の基盤を形成したという意味で自治体の首長のような要素もある。貧農の家に生まれた彼が箱館で許され名字帯刀していることは、この時代、政治的発言力を持っていたことと同義である。また彼の意志によるものではないが結果として、ロシアの地をも踏んでいる。商人という括りは彼を評するには余りに小さい。

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 上の写真は函館市宝来町の電停近くに建つ彼の銅像である。やや男前に過ぎるのではないかという印象がないと言えば嘘になるが、小さな体躯に漲る迫力のようなものがある。この銅像、それ自体が地域にとっての重要人物の証左でもある。これは幕府の代理人として、ロシアとの交渉に臨む男一匹、高田屋嘉兵衛の最大の晴れの姿である。

 

 そして、函館観光の象徴金森赤レンガが立ち並ぶ一角に高田屋嘉兵衛資料館がある。ちなみにミシュランガイド星一つの評価がある私設の資料館である。

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  当館は高田屋嘉兵衛及び周辺の情報を保存するとともに、郷土に独自の歴史、文化を保存するという機能を有している。そのような訳で、当館には骨董的な価値がある文物が幅広く収蔵されている。個人的には、最も奥まった一角を陣取っている大黒様に重みを感じた。

 

 さて、さる11月25日当館で第32回ストーブ火入れ式が開催された。国産ストーブ第1号のレプリカに実際に火を入れるという恒例の初冬の風物詩である。国産ストーブ第1号を試し焚きしたのが1856年11月25日の箱館であることにちなんでいる。高田屋嘉兵衛と直接は関係ないが、当館の設立元が石油店であることから、暖房機器の歴史を現在に継承するという一面の生活文化史的価値を有しているものと察する。

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火入れ式と言うだけあって改まった雰囲気がストーブ前に確かにある。

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館長が古式ゆかしく火打石での着火を試みる。も、文明の利器に頼る。

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 辺りに薪の燃えるにおいが立ち込める。燃え盛る火を前に子供たちは子供たちなりに厳粛に火入れ式に臨席しているようにも見える。

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 子供たちのこわばっていた緊張も解けてきて、室温も上昇しだした一幕。ストーブってあったかいね。