道南民俗学研究会

虚飾を捨てた文章を書きたい。

学問とは単に知ることではないー信念の女医・荻野吟子女史 

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 題は聖書のみ言葉ヨハネ福音書から。「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの実を結ぶべし。」である。(現代語訳は「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、 それは一粒のままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」)

 現代語訳は文法上は正確でわかりやすい。しかし、この言葉が語られた状況と併せて考えるとどうだろう。現実に欠ける。なぜなら、イエスが自らを王と称し民を欺いた罪で処刑されるのは、もう間近に迫っているからである。その語り口調は荘厳なはずである。

 

 そろそろ本題に入ると、師の教えに素直に従い、師を常に敬って学ぶ。それでは足りないのである。それは学問ではなく学習に過ぎない。学び、それは柔らかい響きの言葉であるが浅い響きの言葉でもある。気づき。これも、薄い言葉でだからどうしたと突っ込みたくなる。問い。これは厄介な言葉である。問いに答えが常にあるとは限らい。しかし、問いなくして学の深淵に至ることもないのである。

 

 さて、日本初の公許による女性医師である荻野吟子女史は現在の埼玉県熊谷市に生まれている。34才で大願成就し医者になったのち、43才で夫を追い道南の今金町に渡っている。その道南という縁で、彼女を主演とした映画を見たいと昨年の大みそかに思い立った。結果として正月に映画館に足を運ぴ新年にふさわしい映画であった。

 なお本記事を書くにあたり彼女のことを検索した際、吟子女史を誇らしげに語る同郷の若い女性の姿があり印象的であった。岩をも貫き通す信念の人・吟子女史の言葉を最後に添えて筆を置く。

「学問というものが単に知るということではなく、疑うということから始まることを知った」