道南民俗学研究会

虚飾を捨てた文章を書きたい。

緊急事態宣言下の函館から

 鬼ー隠れたもの。人から生気の抜けたもの。死者、あるいはその周辺にある奇怪なもの。心を失った人。現在の世相を漢字一字で表現するなら何になるのか。ー鬼、だろうか。

 

 コロナウイルスを称して鬼と言えるかー、確かに目に見えず人心を不安にさせるウイルスは鬼のようでもある。おちおち風邪もひいていられない。コロナウイルスに罹っているからではないかと疑われるからである。そういう私も、エスカレーターに乗っている最中、背後からせき込む声が聞こえ、振り向くとマスクをしていない50代くらいの男性がいた。非常識のようにも思ったし、マスクをしたくても既に家にない人なのかもしれない人だと考えた。

 

 電車に乗る際に、乗り込もうとしている人を最後尾から横一直線に見たとき、誰もかれもが皆マスクをしていた。それは、ミステリー映画の一幕のように見えた。マスクには、ほんの少し匿名性の作用がある。更に、相手の感情にも鈍感になれる。普段は温厚な人もマスクをしているのをいいことに、例えばスーパーの店員さんに横柄な態度をとってはいまいか。「おい、いつになったらマスクは買えるんだ?貧乏人に売るマスクはないってか?」

 

 マスクの転売をしている人とはどのような人なのだろう。転売に違法性があるかないかをいえば違法とは言えない。しかし、値段を釣り上げて転売をすることで、本当にマスクを必要としている人ではなく、金に糸目をつけない購入希望者が優先的に、それを手にできる状況が生まれている。それは小遣い稼ぎや商売として良心を失っているのではないか。誤解を恐れずに言えば「あなたは自分の利益のために、経済的弱者であり、かつ呼吸器疾病者の命をふるいにかけているのではないですか。」

 どこぞの愚かな経済学部の教授が商売の原則に反していないなどと学者の資質を疑うべき発言をしていたが、彼はしがない商売人の苦労など知りもせず転売者を庇っているのである。一言で言えば、悪銭身に付かずということだ。違法ではなくても小遣い稼ぎで、そのようなことをしてはならない。はっきり、そう指摘するのが学者の務めであろう。

 

 そして重要なことだが、相手に非があると見るや執着的に攻撃せずにはいられない現代の世相。この世相が、今回のコロナウイルス騒動の一因ではないのか。根は深い。社会全体として、過剰な防衛反応をしている。それは、もはや国際経済にまで影響を与えるレベルである。

 私は以前から気なっていた。本当の意味で日本人はおもてなしの心があるのか。それほど心優しい人たちであるのかと。真心ではなくおもてなしを演じ続けてきた化けの皮がはがれたのが今の世相ではないだろうか。ハッキリ言って経済的効果のみを当て込んでいる(なら)東京オリンピック開催を、これを機に辞退した方がいい。ホスピタリーティーにおける資格がない。

 それとも心優しい日本人が正気を失ったような振る舞いをしているのは鬼のせいであろうか。デマと知りつつトイレットペーパー類を買い占めているのは家族や隣人思いの善人なのであろうか。用心のためにー。鬼が去れば、私たちは再び秩序正しい日本人に戻れるのだろうか。全てを鬼のせいということにして。それは小説に書くことすらためらわれる陳腐なユーモアだ。

 まさに今、私たちは落ち着いた行動を心がけよう。