道南民俗学研究会

虚飾を捨てた文章を書きたい。

いにしえ人の言葉②果てしもない宙があり、求められるべき安らぎがあり、苦しみを受ける人がいる限り、私の願いもあり続ける。

 原文は「虚空尽き 涅槃尽き 衆生尽きなば 我が願いも尽きなむ」、身体の衰弱も見え始めた空海59才の時の言葉(死の3年前)。

 

 私が、この言葉を初めて知ったときは、スケールの大きな言葉を並べているということは分かっても、意味は今一つ分からなかった。おそらく、現代語訳も同時に読んだはずだが、それでも意味が分からなかったのだと思う。

 

 まず原文の単語を読み解きたい。

 

 虚空。ウィキペディアによれば①何もない空間大空。②何も妨げるものがなく、すべてのものの存在する場所。ということである。

 すなわち天地では訳出として小さい。当時、宇宙の科学的概念はないにせよ夜になると星が見える空間としての宙という認識はあったはずで現代語訳にあたり宙を採用した。

 涅槃。ウィキペディアによれば原語は: nirvāṇa(ニルヴァーナ: nibbāna)。古くは煩悩の火が吹き消された状態の安らぎ、さとりの境地をいう。

 これは非常にインド的な哲学性に富む言葉で、現代語訳が困難な言葉である。安らぎと一言で言ってしまうと情緒性に富む言葉となり誤訳であると感じる。悟り、智慧の完成と言っても意味がはっきりとしない。ここでは「求められるべき安らぎ」と表現した。 

 衆生ウィキペディアによれば一切の生きとし生けるもの(生類)のこと。普通は、迷いの世界にある生類を指すが、広義には菩薩をも含めることがある。

 なお、玄奘訳では有情(うじょう、: sattva[4])と表記し、心情の働きのあるものを指す。とある。

 

 「生きとし生けるもの」という言い回しは分かったようで、わからない言葉でもある。例えばコロナウイルス衆生に含まれるのか。害虫、猛獣、病原菌など人間にとって脅威となる存在も世界には満ちている。ここでは衆生を人と限定的に解釈した。

 更に文脈上、ここでは苦しみを受ける人と解釈した。

 

 ところで衆生無辺誓願度という言葉が仏教にはあり、これは全ての仏教徒にとっての共通の願いの一つである。衆生は限りなく広いが、これを洩れることなく救うという誓いで、この誓いは現代のお坊さんにも受け継がれている。

 

 原文の「尽き」は尽きる、なくなるということであるが、否定形で訳すと分かりづらいので、「ある・いる」という肯定形に置き換えた。改めて標題の言葉を見ると、日本に伝来された大乗仏教の中心を貫く理念を語った言葉だということがわかる。現代語訳したことでキリスト教的な言葉にも思える。

 現代に当然、空海は生きてはいないのであるが、大乗の志を継いだ祈りが現代にも脈々と生きていると言えるか、改めて再考したい。