道南民俗学研究会

虚飾を捨てた文章を書きたい。

いにしえ人の言葉⑥私は宋より何も持たずに帰ってきた

 潔いと思う。こういう芝居じみたセリフを言えることが潔い。現実に嗣書(釈尊から続く禅の系譜を記した師弟相伝の認定書)など禅の正統性を客観的に証明しうるものは携えてきたはずだが、そのようなものには頼らない。
 水戸黄門風に言えば印籠を封印して、最後までただの通りすがりの爺様を演じるということだ。軽率に印籠という権威を見せびらかさない。

 標題は道元(1200-1253)の言葉。原語は「近来、空手にして郷に還る。所以に山僧、無仏法なり。」道元の文章は、私が読む限り、理解不能である。同じ日本語とも思えないし、空海を天才僧、日蓮を怪僧と呼ぶなら、道元は異僧の域にまで達してしまっている。

 これは言うに事欠いての私見である。
 空海の文章は修辞法的な装飾が多いが、意味は漢文的で分かりやすい。はっきりといえば、非常に深いことを語っているようでいて、自論を他者に分かりやすく伝えることを目的としている。その意味では学者的である。
 日蓮の文章は論理的めいているが、都合のいい引用や自説の補強が目立つ。特殊性はあっても俯瞰性はなく、自論への執着が強い。そして感情の働きがこまやかである。故に、癖はあるのだが文学性は高い。その意味では職人的である。
 道元の文章は、読む人を選ぶ。おそらくであるが、未来仏である弥勒仏に読まれても恥ずかしくない最上のものを記すという意識で、難解な言葉を用いつつ、丁寧に自らの知見を遺すために筆を執ったのではないか。むしろ暗号めいた特殊な言葉を用いた方が後世まで意味が正しく継承されるとも考えられる。
 道元自体は覚悟という意味で釈尊と自己の間に師弟関係を認めつつ、上下関係は認めなかったはずである。仏祖を必要以上に神聖化された存在に祀り上げてしまえば、釈尊も仏法も実像から離れて、却って教えが歪む。そのような意味で彼は、真の意味での相続者だったのではないかと思う。

 最後に言うに事欠き蛇足を加えれば道元は偉大であるが、現代の権威化した曹洞宗道元的ではあるまい。名著「食う、寝る、坐る」には暴力が日常化、かつ伝統化された永平寺雲水の様子が克明に記されている。パワハラということとは違うようでもあり、同じようでもあり、それが果たして道元の理想とした修行生活と言えるのか興味のある方は読んでみても損はない。