道南民俗学研究会

虚飾を捨てた文章を書きたい。

疲れた心に効く「悲しくてやり切れない」

 映画「あやしい彼女」を見た。女優の歌唱力の高さに驚いた。失礼かもしれないが、むしろ歌手に転向してほしいとさえ思った。
 劇中では懐メロである「真っ赤な太陽」や「見上げてごらん夜の星を」などが効果的に挿まれている。これらは単に昭和を代表する歌謡曲なのではなく、日本人の霊性の源泉と言うべきジャパニーズ・ソウルなのだと理解した。歌うの語源は訴えるだという説があるが、確かに切々と言葉に音階をつけている。この場合、歌が巧すぎると芝居じみて白ける。
 その中で「悲しくてやり切れない」も歌われていて、耳に強く残った。インターネットで歌詞検索をするまでもなく、何一つとして意気揚々としたことを言っていない。しかし晩夏に野外で聞く聴くボサノヴァのような解放感がある。何故だろう。
 「この限りないむなしさの救いはないだろうか」など歌詞そのものは重いに違いはないが、そういう感情をストレートに表現できる懐の深さ・大らかさを感じる。しかも「深い森の緑に抱かれ」など心象描写が卓越している。不思議なことに、とてもやり切れないという歌を聞き終わると、さあ何かしようという気になる。これは天邪鬼な私に特別な作用だろうか。
 無理に頑張ろう、負けるなというより「もうやってられない」という心を切々と言葉にしたところに文学性や真実性がある。それは、もはや個人の苦悩を超えた普遍的な生きることへの問いにまで高められ、かつ共感を誘うのである。そして、心にメロディーをつけ、素直に吟じるものが歌だという大鳥節子の歌謡観も、決して古いものなどではない。
 今後、日本も世界もどうなるかわからない。勿論、私もどうなるかわからない。悲観してもしょうがないが、楽観しようというのは現実とかけ離れている。無責任な気やすめは今は要らない。やるせなさを抱えたまま生きる。 
 いわゆる現代の歌手的な巧さではないかもしれないが、終局にソウルフルに歌い切った「帰り道」に、この映画の見どころが凝縮されている。