道南民俗学研究会

虚飾を捨てた文章を書きたい。

戦禍の悪因を断つ

 麻酔が好例ですが、毒は専門の知識を持つ者が品質管理を徹底するとき薬になります。薬とは本来劇物とも言え、軍隊も元来は凶意ですが統制を徹底することで有用となります。
 さて、日本の自衛隊を軍隊の出来損ないのように言う人もいますが、軍隊を嫌う地域の住民からも自衛隊が特別な支持を受ける事例があることを私は考慮したいと思っています。
 
 ところで、核なき世界が実現しようとしまいと私には関係がないとあなたは言うかもしれません。この世界には今日も戦場であると否とを問わず苦しむ人、核兵器の製造や実験にともなう危険に晒されている人々がいます。彼らと、あなたの運命が交錯することはないにせよ、だから関係がないと言うのなら、あなたが関係ある世界とは何なのでしょう。

 日本には、俗に「怒りの広島、祈りの長崎」と形容される核廃絶への願いがあります。そして私にも核兵器廃絶であり、戦争を含む非人道的行為への問いがあります。世界中の切なる祈りが日本への行動を期待しているのにも関わらず、それに応じないのは思慮深いのではなく、単に国家として意志不明瞭なのではないかと感じることさえあります。

Ⅰ 日本国憲法前文には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」と戦争放棄の決意が明記されています。言い換えれば、それは軍事力に依存しない理性による平和の構築です。そう、平和は理性により維持されるものです。
 日本国政府は不戦の誓いを守るという意志をあいまいに表明していますが、恒久平和は我が国一国の努力や、少数国家の努力、国連の努力だけでは到底実現できえません。
                                       
Ⅱ 今から約七十年前、第二次世界大戦下において世界的に多大な人命を損なう中、我が国では軍部の統制が強く、言論のみでも反戦を唱えることは国家に対する反逆と見なされました。そして戦況は常に有利だという偽りのための報道規制がなされました。
 全ての戦争には大義があるようです。ちなみに、義とは利を損なってでも道理を正しく行うことです。全ての戦争の開始前に大義が掲げられますが戦場に如何ほどの大義があるのでしょう。不義の利によって得た富が、ある国を永続的に栄えさせる歴史はありません。
 
 ひょっとしたら軍事的な観点からは我が国も軍隊や核兵器を所有するべきなのかもしれません。仮に、その方針を同盟国や、国際機関が是認しようとも、道義的な理由により核兵器や軍隊の所有を自ら拒絶するところに本邦のあるべき姿勢を私は感じます。この見解はあなたへの同意を求めません。
                              
Ⅲ 国際社会の全体による不戦の事実の共有。私が学んだ法理では、万人は生まれながらに恐怖と欠乏から免れる生存権や、社会権、幸福追求権を有しています。
 武力で敵対勢力を制圧するという方法、その考え方では永遠に平和は訪れません。中途半端に停戦をすることが戦争の長期化の真因であるとか、常に小競り合いがあるからこそ大局的な平和が維持されると言う指摘もありますが、それは武力行使を助長する誘導です。 
 学者は虚偽を述べてはならないと同時に、真実であれ、その指摘には良心を持たなければなりません。その一言で政府や軍の暴走を鎮め、悪因を断てる可能性があるのですから。
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